ホロライブに「飽きた」とき。ホロライブから離れてわかったこと

前回の記事から2カ月。あっという間に過ぎてしまい驚いている。
「飽きた」というとピンとこない。ただ熱量が下がったのは事実だ。あんなに好きだったのにどうして…?と苦しんだこともある。
今は苦しむ回数が減り、軽い気持ちでホロライブと接している。何時間もパソコンに張り付くことはなくなった。面白そうな配信があれば見るし、興味がある切り抜きをみてはニヤつく。
我ながら良い距離感を保っているな、と思っている。
もし、私と同じように熱量が減り、苦しんでいる人がいたら…
そんなときは、さくらみこの名言:「推しは追えるときに追え」。そして大空スバルの名言:「一回離れた方が良いよマジで」を思い出して欲しい。
大空スバルの発言は「ホロライブに対して冷め気味になってきた、飽きたくないので乗り越え方を教えてください」への返答。
両方とも、義務化したら辛くなる。と言っている。
自分に対して正直になること、自分と向き合うこと。無理をして見るのではなく、楽しむために見る。きっとこれが正解だ。
今回はホロライブに起きた変化と、私の変化についてグダグダと書いていきたい。
※あくまで私が感じたこと、のため事実とは異なる場合がある。
ホロライブの変化
先に結論を言いたい。飽きた(ここではあえてこの言葉を使うが)のは、ホロライブの変化についていけなかったからだ。
ではホロライブの変化とは何か?一言で表すなら
ホロライブメンバーがホロライブに対して帰属意識を持つようになった、ということ。
5期生が加入する前後あたりから、帰属意識が強くなっていったと感じている。
それまでは、身もふたもない言い方をしてしまうと、ホロライブメンバーは「別にホロライブじゃなくてもいい」と思っていたのではないか。
可愛いアバターがあって配信ができるならどこでもいい。にじさんじでもホロライブでも。特にホロライブである必要はなかった。
しかし、様々なトラブルを乗り越え、段々と「ホロライブが好き」「ホロライブじゃないとダメ」になっていった。運営がまとも(所属タレントを守るよう)になったもの大きい。
帰属意識は、誰かから強制されるものではなく、一人一人の内面でゆっくりと変わっていくものだ。
今では多くのホロライブメンバーが、ホロライブを信用し、安心感を持っているのではないか。
戌神ころねの変化
戌神ころねの変化は、ホロライブの変化に気づくきっかけになる。
戌神ころねと言えば、極度の人見知り。コラボではガチガチになり、態度が悪いと言われても仕方がないレベルだった。
同じゲーマーズである、白上フブキ、大神ミオ、猫又おかゆにしか心を開かない。特に猫又おかゆと密着していて2人だけの世界になりがち。
後に加入した3期生の宝鐘マリンとは楽しそうにしていたが、それでも人見知りは変わることはなかった。
そんな戌神ころねだが、知らぬ間に色々な人とコラボをするようになった。
マネージャーが変わったときのエピソードでは、「無理にね、あっちからこずに、ころねがくるまで待ってくれた」「ころねが心開くまでちゃんと待っててくれたいい人なの」と語っている。
こういった出来事を経て、ホロライブに対して、世の中に対して、心を開いていったのだろう。
私の変化
これらの変化に私はついていけていない。
1年と4カ月前、私がホロライブに出会ったときは、ホロライブメンバーはやりたいことがわかっていない陰キャの集まりだった(直球)。
人見知りでコミュ障の陰キャ軍団をみて、勝手に仲間意識を持っていた。
そして今、ホロライブで歩み続けた彼女たちと、何も変わっていない自分にできた大きな差。
「取り残された自分」、これが苦しみの原因だと分析している。この分析はおそらく正しい。
彼女たちが変われば変わるほど、私の熱量は奪われていく。
彼女たちが輝けば輝くほど、私の苦しみは大きくなっていく。
そんなことに気づいた2カ月だった。
じゃあどうすればいいのか?
それに対する答えはまだない。